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北海道内で起きた地震・津波被害

編集部
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 道内で大きな被害をもたらした地震は数多くある。甚大な被害をもたらしたものとしては、「北海道南西沖地震」が挙げられる。奥尻島を大津波が襲ったものだ。北海道周辺で起きる大地震には特徴があり、内陸部ではあまり起きていない。

北海道の地震の特徴

 北海道には、日本海側を縦断するプレート境界、太平洋側にあるプレート境界がある。日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界があり、「北海道南西沖地震」はこのあたりで起きた。一方、北アメリカプレートと太平洋プレートの境界が太平洋側にあり、東日本まで続いている。「釧路沖地震」や「十勝沖地震」「根室沖地震」、北方領土で被害が大きかった「北海道東方沖地震」はこのあたりで起きた。

 特に多いのが、太平洋側のプレート境界型地震あるいは海洋プレート内地震として起きる、十勝沖、釧路沖、根室沖、北方領土近辺で起きる地震だ。こうした地震で、道内で家屋の倒壊や、死傷者を出してきた。とりわけ、海岸沿いでは津波による犠牲者も多い。流氷や海氷による被害拡大も見られ、1952年の十勝沖地震では、浜中町で湾内の流氷が加わって被害が拡大したとされる。

 地震の被害は多くが津波だ。道内で観測記録が残っているものでは、最大の津波は1993年の北海道南西沖地震で、奥尻島で観測した30.6mの大津波だ。続いて1933年の昭和三陸地震でえりも町で観測した14.2m。それ以外では、1952年の十勝沖地震では釧路町で6.5m、1983年の日本海中部地震では奥尻町で5.1m、1960年のチリ地震では様似町で5m、1968年の十勝沖地震では様似町で4.5m、2003年の十勝沖地震では厚岸町で4.4m、2011年の東日本大震災でも豊頃町で同じ高さの津波を観測している。

 オホーツク海沿岸や道北地域での地震被害は多くない。やはり太平洋沿岸部、日本海沿岸部で多く津波の被害が生じている。

 海洋以外の内陸部を震源とする大地震は少ないが、犠牲者を出した地震が少なくとも一つある。1938年5月29日の「屈斜路湖地震」(M6.1)は、死者1名を出した地震だった。これにより、屈斜路湖和琴半島では火山性の活動が活発になり、有毒ガスが湖底から確認されたため、魚が全滅したとされている。

1900年以降の北海道で死者を出した地震の数々
北海道内で起きた地震・津波被害

1915年3月18日十勝沖地震M7.0死者2
1933年3月3日昭和三陸地震M8.1死者13
1938年5月29日屈斜路湖地震M6.1死者1
1940年8月2日積丹半島沖地震M7.5死者10
1952年3月4日1952年十勝沖地震M8.2死者28・不明5・負傷287
1960年5月24日チリ地震M9.5死者8・不明7
1968年5月16日1968年十勝沖地震M7.9死者2
1983年5月26日日本海中部地震M7.7死者4
1993年1月15日1993年釧路沖地震M7.5死者2・負傷966
1993年7月12日北海道南西沖地震M7.8死者202・不明28・負傷323
2003年9月26日2003年十勝沖地震M8.0死者1・不明1
2011年3月11日東日本関東大震災M9.0死者1

北海道南西沖地震

 1993年7月12日に日本海奥尻島北方沖で発生した、道内最悪の被害をもたらした大地震。震源の深さは35km、M7.8、奥尻島の震度は6と推定される。震源に最も近い奥尻島には巨大な津波が押し寄せ、火災も発生し、202名の死者、28名の行方不明者(うち198名が奥尻島、ほかは島牧村・せたな町など)、ロシアで行方不明3名を出した。被害総額は1243億円と推計。

 津波警報は地震発生から5分後に発令されたが、奥尻島ではそのころにはすでに大津波が到達していたとされる。西部では2~3分後に第一波が到達した。奥尻島南端の青苗地区を襲った大津波は高さ12.3m、稲穂地区では8.5m、初松前地区で16.8m、藻内地区では最大遡上30.6m、奥尻地区で3.5mだった。中心部の奥尻地区では、がけ崩れのためホテルなどが倒壊、28名が死亡した。

 青苗地区では、車で逃げようとした人も多く渋滞が発生したが、その車列に津波が来て飲みこまれた。また、火災が発生し、強風による延焼拡大となった。結果、青苗地区は壊滅状態となり、17棟以外はすべて津波火災で失われた。

十勝沖地震

 十勝沖地震と呼ばれる地震は何度も起きている。1915年、1952年、1968年、2003年とある。1952年のM8.2の地震は、襟裳岬東方沖約50kmで発生した。池田町や現在の浦幌町で最大震度6を観測した大地震だ。死者28名、行方不明5名。何よりも最大6.5mを観測した釧路町・厚岸町などで津波の被害が多く、浜中町霧多布では津波のほか、当時湾にあった流氷等が固い塊となって押し寄せたため、町が壊滅状態になった。この前日が1933年の昭和三陸地震記念日だったため、避難訓練が行われた直後だったため、被害が比較的少なく済んだという。

 1968年には、M7.9の地震が、襟裳岬東南東沖120kmで発生、函館市、苫小牧市、浦河町、広尾町などで最大震度5を観測した。この地震は北海道では死者2名だったが、東北地方も含めると52名が死亡した。相当な揺れだったため、本州~北海道間の海底通信ケーブルが寸断される事態にもなった。

 2003年にも襟裳岬東南東沖80kmでM8の地震が発生。新冠町、新ひだか町、浦河町、鹿追町、幕別町、豊頃町、釧路町、厚岸町で最大震度6弱を観測した。津波により、十勝川河口の釣り人2名のうち1名死亡、1名が行方不明となっている。苫小牧市では石油タンクの火災、根室本線では特急まりもが脱線、道東の道路網の寸断など各地で被害が発生した。

道内における津波対策

かつての青苗地区は広場として生まれ変わった
北海道内で起きた地震・津波被害

 1993年の北海道南西沖地震を教訓として、奥尻島では、島の周囲84kmのうち、総延長約14kmにわたり最大高さ11mの防潮堤が新設された。青苗漁港には一時避難用の高さ6.6mの人工地盤、望海橋が建設されたほか、高台への避難スロープ・誘導灯が42か所(公設)以上建設され、青苗小学校では1階を空洞とする構造になっている。4つの河川では、震度4以上で津波水門が自動で閉じるようになっている。住宅地は高台に造成された。

 このように奥尻島は、多額のお金をかけて津波対策をしてきた。そうした取り組みにより、津波対策の先進地の一つとして、スマトラ島沖地震以降、世界から注目されている。東日本大震災の復興や、道内の沿岸部での対策にも役立ててほしい。

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