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知床のトリビア大全

編集部
Written by 編集部

知床半島のいろんな豆知識をまとめました。

半島の東西でまったく違う知床!

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 知床半島の西側は斜里町ウトロ、東側は羅臼町というのはここまで何度か触れているのでわかると思いますが、その東西では違いがいくつもあります。まず海岸線が断崖絶壁か浜辺かで違います。気候も違います。

 ここまでは前頁に詳しいですが、さらには、人間の居住地のエリアも違いがあります。斜里町側は、現在太平洋側にはウトロ市街地にのみ民家があり人が住んでいます。一方の羅臼町側は、羅臼町市街地を中心に海岸つたいに民家や番屋が林立している状況です。生活観がにじみ出ているのです。羅臼昆布漁も盛んです。

 自然景観の点でいうと、ウトロから先の世界遺産エリアは、まさに大自然の秘境といえるほどの絶景が広がります。目の前に羅臼岳や硫黄山の知床連山を見ながらの観光なのです。知床五湖やフレペの滝など、いくつもの有名な自然の観光名所もそろっています。

 一方の羅臼町側は、海岸沿いの道道から知床連山はよく見えません。その代わり、国後島を望むことができます。そして、羅臼町の観光名所は一応あるものの、ウトロ側の知床五湖などの有名な名所に負けている格好です。

半島を一周できない知床エリア!

 もちろん通常の旅のように、行けばダイナミックな大自然を満喫できます。しかし知床の場合は制約が多いエリアになっています。知床半島を一周することは出来ません。半島の両サイドにある羅臼町市街地、斜里町ウトロ地区は、半島の長さのうち半島基部から5分の2あたりにあります。そこまで行くのは、簡単です。

半島の両側の道路は途中行き止まり!

(写真)道道87号線相泊の行き止まり
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 ウトロ側は、半島の岬方面へ「知床林道」が続いています。1969年完成という林道で、せっかくルシャ川あたりまで続いているのですが、半島基部から5分の3あたりにある知床大橋までしか行くことが出来ません。それ以降は通行止めになっています(現在はシャトルバスでしか行けません)。羅臼側も道道87号線が途中の相泊で道路が途切れてしまいます。

期間限定でいける観光名所たち

 ウトロ側の知床五湖からカムイワッカ湯の滝・知床大橋までは、工事の為、人も含めて通行止めです。ただし7月13日から9月20日までの70日間は、シャトルバスに限って通行できます。これは数年続くとされています。カムイワッカ湯の滝は、一般の人たちが踏み入ることができるウトロ側の観光名所のうち、もっとも奥地にある(知床岬側にある)名所です。

日本一通行期間が短い国道

 羅臼・ウトロ間を結ぶ知床横断道路(国道334号線:1980年9月25日開通:18年工事)は、標高は738mで、1日あたりの通行量が1000台を越すという人気ぶり。冬季間は吹雪・雪崩の問題から、除雪を一切せず通行止めになります。冬季間といっても、山々を通る峠ですから、平野と違って大変長い期間通行止めということですね。

 日本一通行期間が短い国道として知られ、毎年11月から4月末(場合によってはGW連休明け)までが通行止め期間ですが、降雪量・期間によって変動します。ですので、冬にこちら方面にいかれる方は大変ですね。ウトロや羅臼に行っても、同じ道を戻って根北峠のほうを迂回せざるを得ません。

知床にはヒグマ対策食料保管庫がある!

知床のトリビア大全  知床の野営・キャンプ指定地各所(三ッ峰・二ッ池・第一火口・羅臼平)には、環境省設置の金属製ヒグマ対策食料保管庫、通称フードロッカーがあります。写真は、羅臼岳近くの羅臼平という野営地に設置されている金属製のものですが、ふたのところには、こう書いてあります。「食料、残飯、及び匂いのついた食器類は、ヒグマを誘引する危険性があります。これらは全てこの食料保管庫に収納し、決してテント内には持ち込まないでください!また同様に、テント内やテント近くでの調理も大変危険です。」

 そして、続けて使用方法が書いてあります。上蓋には厳重にあかないようになっていて、金属カバーの中のスライド式の金具を押し上げて初めてロックが外れて蓋が開くようになる仕組みになっています。閉めると自動的にロック状態になります。このあたりの使用方法は実際に登山をした際などに熟読ください。最後に、「環境省・林野庁・北海道・斜里町」と締めくくられています。ヒグマについてはこちらのページをご覧ください。

実は遺跡がたくさんある知床!

 知床の歴史は古いのです。たとえ人を寄せ付けない地形だとはいえ、昔の村の遺跡がいくつも発見されています。縄文時代の遺跡もありますし、オホーツク文化時代の遺跡としてはウトロ遺跡、知床岬遺跡、相泊遺跡があります。続くアイヌ文化時代の遺跡からも、ウトロや知床岬、ルシャにもコタン(村)があったことがわかっています。

クナシリ・メナシの戦い

 1669年、シャクシャインの乱という北海道の歴史の中でも重要な戦いが起こりました。基本的に道南を中心に行われたものですが、その戦いに知床のアイヌの人たちも参加したようです。また、1789年にはこれまた有名なクナシリ・メナシの戦いも知床を舞台に起こっています。

 クナシリとは国後島のことで、メナシというのは目梨郡羅臼町ということからわかるように羅臼(標津地方も含む)のことです。アイヌがいっせいに蜂起して、メナシでは海岸沿いの番人ら49人の和人が殺害されました。背景には、強制的労働や、不審な死を遂げた仲間が毒殺されたに違いないと思ったということがあったようです。

知床開拓の始まり

 1790年に斜里場所を開設し、場所請負制度による和人の漁場経営が始まったのが、開拓の始まりとなっています。こうしたことにより、知床に限ったことではありませんが、北海道各地で、アイヌコタンが衰退していきました。江戸時代末期から明治時代にかけては、知床の硫黄山付近の硫黄採掘(会津藩)や、お雇い外国人のライマンによる調査が行われました。

 そして大正時代、1914年に岩尾別(ウトロ側知床五湖に近い場所)に開拓者が入植しました。その名残といえるのが、たとえばイワウベツ台地にある知床五湖の一湖にあるササ原。これは放牧の跡地とされています。その後バッタの異常発生などでいったん退去し、1937年にはリベンジで再入植します。いずれも失敗に終わり、全戸離農してしまいました。この開拓土地を買い戻して自然を復元しようとする動きが、かの有名な斜里町「知床100平方メートル運動」なのです。

知床岬は羅臼か、斜里か

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 知床半島の突端には知床岬があります。先端から半島を分断して、南東を羅臼町、北西を斜里町が占めているわけです。知床連山という知床半島の中心を貫く山々の山頂には、ほとんどが町の境界線が通っています。では知床岬の地点は半分にわかれているのかというと、実はわかれていません。斜里町の町域に含まれています。でも、町の境界線はけっこう岬に近いところに引かれているのです。もうひとつ面白いのが、斜里町の住所表記には知床岬がありませんが、羅臼町のほうに知床岬という住所表記があるのです。

知床岬をどうしても見たい!

 どうしても知床岬を見たい!という方なら、「知床観光船」で行く方法がポピュラーです(もうひとつ、北海道航空で空からみることも可能ですが、女満別空港からの遊覧になり、金額も高いのでお金持ちの方限定になりそうです)。知床岬周辺は特に規制が強化されており、上陸が禁止されているため、実際に知床岬を踏むことは出来ませんが、海から、知床の先っぽまで眺めることが出来ます。知床岬ルートと、途中で引き返すルートがあって、値段も変わってきます。詳しくは後のページの観光名所リストからご覧ください。冬は流氷砕氷船として網走で、夏は知床で知床観光船として活躍する「おーろら」「おーろら2」。

知床が白老にある?

 「知床小学校」もありました。「知床駅」もありました。これらの由来も、世界遺産の知床と同じくアイヌ語の「地の果て・岬」から。明治42年に開業した白老町の「萩野駅」の元の名前が「知床駅」だったようです。現在は萩野地区になっています。

知床にない羅臼山と羅臼崎!

(写真)知床峠から見る国後島
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 知床には羅臼(らうす)と名前のつく地名がいくつもあります。代表的なのがやっぱり羅臼岳。ほかにも羅臼川や羅臼平、羅臼湖がありますね。でも、この知床半島、つまり羅臼町でも斜里町でもないのに羅臼という名前を冠した地名があります。それが>「羅臼山」と「羅臼崎」。これはどこにあるかというと、海をわたります(!)。なんと北方領土の国後島にあるのが、これらの地名。羅臼町から見える国後島で、最も高い部分、それが羅臼山になります。

知床にない中知床・北知床・知床山!

 「中知床」「北知床」という地名があります。でも知床にない、もっとひどいことに北海道にもないときました。さて、どこにあるでしょう?答えは「樺太」つまりサハリンにあるんです。もっとも、樺太が日本の領土だった頃の地名ですが、これらの知床の名前の由来も、北海道の知床と同じ由来、つまり「地の果て・岬」という意味です。

 「知床村」も北海道にはありませんでした。樺太の南端にある二股の半島の東側(中知床半島)に「大泊支庁大泊郡知床村」がありました。かつては、「内知床村」「外知床村」があり合併しました。現在は「コルサコフ地区ノヴィコヴォ町」になっています。半島の先っぽまでが知床村で、その先端の岬の名前が「中知床岬(それ以前は知床岬・現在アニヴァ岬)」でした。そして岬の北側には「知床山」もあります。

 一方、「北知床」は?というと、樺太の最東端にあります。細長い半島が「北知床半島(現在テルペニア岬)」であり、その突端が2つに分かれていますが、東側が「北知床岬」、西側が「エントモ岬」。ここらへんは「敷香支庁敷香郡散江村」に属しました。詳しくは「全国樺太連盟」のサイト内になるマップをご覧ください。

国後島がくっきり見える羅臼町!

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 羅臼町の海岸線からは、天気がまぁまぁよければ国後島を見ることができます。上の図のように見えるはず。羅臼町市街地から見た景色ですが、知床の奥地、相泊のほうにいけば、またちょっと違った島の形になりますし、標津のほうから見ると、泊山くらいが大きく見えることになります。

 羅臼から一番大きく見えるのは羅臼山895m。その左側にあるチャチャ岳やルルイ岳のほうがそれぞれ1822m、1486mと大きい山なのですが、羅臼からだと遠いので羅臼山と同じく見えます。最も近いところで25kmくらいしかないとされています。ちなみに羅臼から択捉島は見えません。

国際プロレス最後の地!

 いきなり話題のジャンルがぶっ飛んで申し訳ないですが、羅臼町は国際プロレス最後の地とされています。1981年8月9日に羅臼町羅臼小学校グランドで行われ、町民の7分の1もの人々が観戦したという、羅臼では自慢の思い出。その1ヵ月後に国際プロレスは倒産。最後のプロレスが羅臼町で行われたということです。

知床旅情のまち!

 おもに羅臼町を中心に行われた羅臼初のロケは、映画「地の涯に生きるもの」。そのロケの終盤に生まれた曲があの名曲「知床旅情」。詳しくは知床旅情ページをごらんあれ。主に羅臼町で作られたその曲に対し、2005年に制作された「いとしき知床」は第二の知床旅情とささやかれています。こちらの曲は、主に斜里町で作られ、作詞は斜里町の主婦、作曲は東京の作曲家で、コーラスも斜里町民という構成になっています。

北の国からロケの地!

知床のトリビア大全  倉本聰さん脚本の北海道を舞台にした人気ドラマ「北の国から」。そのフィナーレを飾った最終回の「北の国から2002遺言」(2002年9月)のロケ地のひとつが羅臼町でした。このドラマでは、富良野と羅臼という2つの場所が舞台となりました。羅臼でのロケは2001年9月から2002年2月まで、ちょうど流氷の季節も含めて行われました。

 羅臼町にはそのロケ地がいくつも存在しています。観光名所でもあるところとしては、国後展望塔、純の番屋(純が暮らしていた番屋)、セセキ温泉(純とトドが入った露天風呂)、マッカウス洞窟(純と結のデートの場所)、知床峠(純と結のデートの場所)、道の駅前バス停(五郎を迎えたバス停)。その他、羅臼漁港や埠頭、商店や飲食店街はほぼすべて羅臼町市街地です。

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