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知床ブームと知床を舞台にした作品

編集部
Written by 編集部

知床は、その大自然の魅力から、数々の作品の舞台となってきました。知床が全国区になったのも、こうした作品の大ヒットのおかげということができるでしょう。

地の涯に生きるものと知床旅情

 第一次・第二次知床ブームを生み出したのは、映画「地の涯に生きるもの」がきっかけでした。1960年に公開された映画で、知床半島先端の知床岬周辺で生活するサケ番屋番人の老人の人生を描いた作品でした。

 1959年以降何度も知床を訪れた戸川幸夫氏著作の「オホーツク老人」が原作で、家族を次々失って一人ぼっちになった老人が、唯一の慰めであった猫も鷲に襲われ、復讐しようと出て行くが……というストーリーです。オホーツク老人の像はしおかぜ公園にあります。

 1960年3~7月に斜里町と羅臼町(当時は羅臼村)でロケが行われました。このとき拠点としたのは羅臼のほうで、初の映画ロケ、主演・森繁氏という映画スターを迎える羅臼町は大歓迎。羅臼の人たちとの交流も多くあり、お礼に何か……ということで誕生したのが「知床旅情」という歌でした。

 知床旅情は、完成当初は「サラバ羅臼」でした。7月12日に1番の歌詞が完成、旅立つ日であった17日に大合唱で見送られることになりました。これが後の「知床旅情」です。

 1962年に「知床旅情」がNHK紅白歌合戦で森繁氏により歌われ、全国に知られるようになりました。変わったのはタイトルだけでなく、歌詞も「羅臼」を「知床」に変更、斜里町への配慮のつもりでした。その後、この変更は斜里町住民と羅臼町住民間の火種となりました。

 1970年に加藤登紀子氏が「知床旅情」を発売しこれが大ヒットします。翌年1971年にはレコード大賞を受賞。これにより、知床は一気に全国区となり、観光客がどっと押し寄せました。1962年当初の観光客入込数はわずか19万人でしたが、この年には120万人を超えるまでになりました。第二次知床ブームの到来でした。

 この知床ブームで主に恩恵を受けたのは、羅臼町ではなく斜里町ウトロのほうでした。現在も、羅臼町には宿泊施設は多くなく、8倍もの収容人数を誇る斜里町ウトロ側に人が多く集まる傾向が続いています。

知床ブームと知床を舞台にした作品

その他の知床を舞台とした作品

 映画「地の涯に生きるもの」、そのロケから生まれた「知床旅情」の大ヒットがきっかけとなり、様々な知床作品が誕生しました。1975年には映画「アフリカの光」、1987年には「男はつらいよ・知床慕情」、1992年には映画「ひかりごけ」が公開されました。

 ドラマでは1979年に「望郷」、1990年にテレビ朝日が「知床旅情殺人事件」、「オホーツク殺人ルート」などを制作、2002年に「夏の約束」、「北の国から~2002遺言」が放送されました。

北の国から2002遺言

 北海道で撮影された大ヒットテレビドラマ「北の国から」。その最終章は2002年放送の「2002遺言」でした。最後の主なロケ地として選ばれたのは、知床半島の羅臼町でした。

 なぜ羅臼町なのか。ロケ地候補地としては稚内・知床の2候補があり、倉本氏の推薦で知床に決定、さらに、最果ての地としてふさわしいと思われた羅臼町が選定されました。番屋は相泊で撮影されましたが、観光客が押し寄せると困るので、羅臼町市街地に純の番屋として再現されました。こうしたことから、知床・羅臼町が再び注目されるようになりました。

そして、世界自然遺産登録

 そして、2005年7月。世界自然遺産登録ほぼ確実であったことから観光客が多く流入。登録後も観光客が続々とやってきました。しかし、その後は減少傾向にあります。思ったより、観光客離れが深刻ですが、自然を守るという観点からは、このほうがいいのかもしれません。

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