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 知床半島を構成する自治体は、オホーツク総合振">斜里町と羅臼町と幻の東知床市 – 北海道ファンマガジン [ファンマガ]
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斜里町と羅臼町と幻の東知床市


 知床半島を構成する自治体は、オホーツク総合振興局管内の斜里町と、根室振興局管内の羅臼町です。周辺自治体の変遷を紹介しましょう。

斜里町

 斜里郡斜里町はオホーツク管内で一番東に位置する自治体です。名称はアイヌ語の「サルイ」つまりアシのはえているところ、という意味があります。面積は737km2、人口は12000人ほどです。

 斜里町の中心部は知床半島にありませんが、ウトロ地区の市街地が半島北側中部にあります。ウトロは温泉街として発展してきました。また、知床世界遺産の玄関口でもあります。

 斜里町は、1915年に斜里村として発足しました。1919年に現在の小清水町を分離、1943年には現在の清里町(当時は上斜里村)を分離しました。こうした経緯から、斜里郡3町はもともと斜里町だったということが分かります。1939年に斜里村は町制施行し、斜里町として現在に至っています。

 斜里町は平成の市町村合併で周辺市町村と合併を模索しました。2002年に網走市までの9市町村で研究会を設置後断念、清里町と小清水町の斜里郡3町での合併を検討しました。結局2004年までに清里町と小清水町が合併に慎重な姿勢を示したため、実現しませんでした。

羅臼町

 知床半島のもう半分は、目梨郡羅臼町。面積398km2、人口は6000人余りです。アイヌ語の「ラウシ」つまり低いところという意味があります。海岸線から国後島がよく見える町です。歴史的にはクナシリ・メナシの戦いの舞台、ヒカリゴケ事件の舞台、知床旅情の地として知られます。

 1901年に植別村戸長役場として発足したのが始まりです。1923年に二級町村制施行、1930年に羅臼村に改称、1961年に町制施行して羅臼町となり、現在にいたします。

 平成の市町村合併においては、羅臼町は当初、隣接する標津町、中標津町、別海町との4町での合併を模索。別海町と標津町が離脱し、中標津町との飛び地合併&市制施行が見込まれていましたが、実現しませんでした。

幻に終わった東知床市

 羅臼町が中標津町との合併で市新設を検討していたことがありました。平成の市町村合併で、飛び地とはいえ、人口規模では市制施行に問題がなかったため、新市誕生かと思われました。

 新市名を募集したところ、「知床市」「しれとこ市」「南知床市」「はまなす市」「ゆめの森市」「道東市」「東知床市」「北根室市」「南しれとこ市」「開陽市」「新知床市」の11点が上位を占め、最終的に絞り込んだ3点は「新知床市」「東知床市」「南知床市」でした。最終的に東知床市とし、新市役所を中標津町役場とすることで合意していました。

 こうした「知床」を新市名に入れることについて、斜里町が異議を申し立てました。知床という名を自治体名に入れるべきではないと町長が明言したわけですが、中標津町・羅臼町はこうした声を聞き入れませんでした。結局、中標津町住民投票で合併反対が6割を超えたため、協議会解散、合併は実現しませんでしたが、こうしたいきさつから、今後自治体名に知床の名を入れることがないようにという暗黙の了解ができあがりました。

 とはいえ、斜里町が合併を検討していた2004年ごろ、新自治体が実現した場合の自治体名称希望という斜里町民アンケートで、1位「知床斜里町(79.5%)」、2位「知床町(16.1%)」、3位「北知床町(1.6%)」となりました。やはり、自治体名に知床を入れたいという思いは両町ともにあるようです。

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