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国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

  

大正時代から昭和初期にかけて、資源などを輸送するために全道に鉄道網が整備されました。しかし昭和中期に入ると事態は一転。産業構造の変化や自家用車の普及などにより鉄道は一気に衰退します。多額の赤字を抱えた国鉄は、合理化・再建をすすめ、多くのローカル線が廃止されました。かつての鉄路はどうなっているのか。志文駅から万字炭山駅までを結んでいた「万字線」の足跡を訪ねました。

石炭積み出しを目的に開通

▼お地蔵さんが列車の安全を見守る(1984年4月撮影)
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

万字線は、室蘭本線志文駅から万字炭山駅まで23.8kmを結んでいたローカル線です。万字炭山からの石炭の積み出しを目的とした「万字軽便線」として1914(大正3)年11月11日に全線が開通しました。これにより沿線の炭鉱開発も促進され、1918年に「美流渡炭山」や「朝日炭山」などが開鉱。基幹産業を支える輸送手段として活況を呈しました。

国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

昭和中期に石炭需要が減少すると、万字線は本来の目的を失っていきます。炭鉱の閉山により1978(昭和53)年に貨物営業が廃止。次々に閉山になり、人口が減って乗降客が減ったため、100円の営業収入を得るのに、どれだけの営業費用を要するかを表す「営業係数」が、3,000円近くにまで膨れ上がり、1985(昭和60)年4月1日をもって約70年間の歴史に幕を下ろしました。橋梁はすべて撤去されていますが、今も残る駅舎や資料などに当時の面影を感じることができます。

志文駅

▼1902(明治35)年8月1日に北海道炭礦鉄道の貨物駅として開業
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

万字線は志文駅で室蘭本線から分岐しています。廃止当時は岩見沢駅を発着とし、1日5往復ほど運行していました。駅舎は新しく建て直されていますが、跨線橋や木製の電柱は今も当時のままです。

▼往時の面影が残る構内
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

▼志文駅は貨物駅としてスタートした
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて
美流渡交通センター鉄道資料館所蔵

跨線橋からホームを望むと、2番ホームの裏側にヤードの跡が広がっているのが分かります。往時には石炭をたくさん積んだ貨車がひしめき合っていたことでしょう。今でもヤードの一部が残されており、保線用の車両が停車していました。

上志文駅

▼臨時列車が運行されたスキー場の最寄り駅
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

1日の乗降客が10人程度でありながら、冬期は岩見沢萩の山市民スキー場の最寄り駅として札幌方面からスキー列車が運行されるなど賑わいを見せていました。廃止後に駅舎はスキー場に売却され倉庫として再利用されています。

朝日駅

▼開坑によって誕生した朝日駅
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

万字線開通後の1919(大正8)年に、朝日炭鉱の開坑により開業しました。万字線の駅の中では最も保存状態がよく、開業当時の雰囲気を感じることができます。駅舎内は一般公開されていませんが、1986(昭和61)年から周辺が鉄道公園として整備されており、ホームやレールのほか、遮断機や駅名標、動輪なども置かれ、2000(平成12)年からは岩見沢市内に保存されていたSL「B20-1」が展示されています。

▼今でも駅舎の裏手に炭鉱の跡らしきものが確認できる
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて
万字線鉄道資料館所蔵

▼鉄路は森の中で途切れている
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

現在は駅舎の前に観光向けのホームが設置されていますが、往時の写真では離れた場所にホームが設置されています。これは万字線全駅に共通しており、旅客輸送よりも石炭輸送が優先であったことが伺えます。駅舎から離れた場所には当時に使用されていたと思われるホームがひっそりと残されていました。

美流渡駅

▼駅舎は取り壊され記念碑が往時を偲ばせている
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

▼美流渡交通センター2階の「万字線資料館」
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

▼奈良地区の「万字線資料館」
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

美流渡駅は、上美流渡炭山(美流渡炭山)まで北星炭礦美流渡礦専用鉄道が分岐する万字線の要となる駅でした。駅舎はすでに取り壊されていますが、美流渡交通センター2階の「万字線資料館」や、少し離れた奈良地区にある「万字線鉄道資料館」にも駅名標や写真などの資料が展示されています。入館は無料ですが、「事前の予約が必要」「平日のみ開館」など気軽に立ち寄ることができないのが難点です。

美流渡交通センター 万字線資料館
所在地:岩見沢市栗沢町美流渡本町50番地2
電話:0126-23-4111(内線412) 岩見沢市企画室
営業日時: 9時00分~17時00分
定休日:土・日・祝
万字線鉄道資料館
所在地:岩見沢市奈良町5-9
電話:0126-23-4111(内線412) 岩見沢市企画室
営業日時: 9時00分~17時00分
定休日:土・日・祝

かつては繁華街があり、今はシャッター街もない

▼変わり果てた街に住民も驚きを隠せない
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

昭和35年ごろ、美流渡には12,000人以上もの人が暮らしていました。昭和38年から美流渡でラーメン店を営む女性店主は、「この辺りには繁華街があり、毎晩のように酔っ払った炭鉱夫たちが喧嘩をしたり、路上で寝ていた」と回想します。しかし、今は街中を探しても片鱗すら見当たりません。「陶芸家や自然食の店など新しい人の転入があるものの、美流渡で生まれた人が戻ってくることは、ほとんどない。こんなに街が変わるとは思わなかった」と、肩をすくめました。

万字駅

▼簡易郵便局として現役を続行する万字駅
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

▼ホームに続く長い階段
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

▼開業当時の万字駅構内
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美流渡交通センター鉄道資料館所蔵

万字駅は鉄道廃止後に万字仲町簡易郵便局として利用されています。ホームは沢を下った場所にあり、現在も階段が残っています。昭和50年代までSL時代に使われていた給水タンクやターンテーブルが残されていました。

▼万字の名物ラーメン店(1985年3月撮影)
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

倒壊した家や更地が目立つ駅通りは、かつて商店が立ち並び、映画館まであったといいます。万字線が廃止された1985(昭和60)年にも、まだ数軒の店が営業していました。中でも「京楽」は、美味しいと評判のラーメン店でした。年老いた女将が一人で切り盛りしていたため数年後に閉店しましたが、30年以上経った今でもその味は人々の記憶に残っています。

万字炭山駅

▼在りし日の万字炭山駅(1984年4月撮影)
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

万字線の終着駅です。1905年(明治38年)、北炭が炭鉱名を朝吹家の家紋「卍」にちなみ万字炭鉱と命名し本格操業が開始されました。しかし複雑で脆弱な地質条件な上に、出水量が多く、1950年代には坑道が水没するなど、生産量が安定しない弱点を抱えていました。1976(昭和51)年の台風による出水事故により主力坑道が水没。復旧できず閉山に至りました。

▼放置された炭鉱と鉄路(1984年4月撮影)
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

1984年に訪れたとき鉄路は坑内まで続いており、地面には石炭が転がっていました。街から離れた場所にあるため、現役の駅ながらゴーストタウンのような雰囲気を漂わせています。

国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

万字線廃止後、駅舎は個人に売却され、一時は住宅や別荘として利用されていましたが、現在は解体され植物に覆われています。十数年前には何とか文字が読み取れた標識もさび付き、駅が存在していたことすら幻のように感じました。

時を超えた奇跡のプレゼント

▼出発を待つさよなら列車(1985年3月撮影)
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

子どものころに鉄道ファンだった私は、万字線さよなら列車に乗車しました。車内は地元の方々も多く、同窓会のような雰囲気です。その時に録音した万字線を偲ぶ歌を披露している年配女性の歌声を記録として今まで保管していました。今回廃線跡を訪ねるにあたり声の主を調査したところ、万字駅前で鮮魚店を営んでいた溝口貞子さんだということが分かりました。

▼かつての溝口鮮魚店
国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

すでに鮮魚店は閉店されていますが、息子さんが店舗を利用して「ジン鍋アートミュージアム(2016年の北海道ファンマガジンで紹介)」を開館していることが判明。さっそく連絡させていただき、音源を渡すことができました。

ジン鍋アートミュージアムは、万字線開通の日に合わせて11月11日に開館したそうで、毎年開館記念日に旧溝口鮮魚店でジンギスカンパーティーを開くそうです。貞子さんはすでに他界されたそうですが、賑やかな歌声がパーティに花を添えることでしょう。「万字線廃線を辿ってみたら、34年の時を超えて奇跡が起きた」。そんな気持ちになる散策でした。

【映像】万字線さよなら列車で歌われた万字線を偲ぶ歌(溝口さん使用許可済み)

筆者について

吉田匡和

吉田匡和

札幌在住の文筆家・写真家。日本のすべての年金制度(厚生年金・国民年金・国家公務共済・地方公務員共済・私学共済)に加入したことがあるという、自慢にもならない経歴を持っています。苦労しなくて済む程度のアウトドアが趣味で、夕日を見ながらビールを飲むのが大好きです。【Sクラス認定ライター】