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青函連絡船の歴史2(戦時下)

戦時下の受難、大量破壊

 戦時下の1943年以降1945年にかけて、ワゴン型の船舶が次々と導入されました。1944年7月ごろには全船武装までされるようになります。そして1日21往復に増強されます。そんな中1945年7月14日~15日、青函連絡船"軍団"が壊滅的打撃を受けることになります。

 この両日、米軍により青函連絡船及び函館ドックへの一斉攻撃がありました。船は応戦したり避難したりしましたが、第四青函丸、第十青函丸、第三青函丸、津軽丸、第二青函丸、飛鸞丸、翔鳳丸、第一青函丸が攻撃を受け沈没、松前丸は攻撃を受け炎上、第六青函丸も攻撃を受け座礁炎上、それぞれで多数の死者を出しました。ほかに沈没はしなかったものの第七青函丸、第八青函丸も攻撃を受け航行不能になりました。つまり青函連絡船12隻が壊滅し、青函航路が機能しなくなったわけです。

 そんな非常事態のため、同年7月17日から海軍の特設砲艦「千歳丸」と特設巡洋艦「浮島丸」が臨時就航、「樺太丸」や稚泊連絡船で活躍していてたまたま函館ドックにいた亜庭丸も借り出されることになりました(8月10日に米軍の空襲で炎上沈没)。また、被害を受けた第七、第八青函丸は早急な修復を受けて7月中に相次いで復帰しました。

ここまでの年表
1943年3月6日 貨物専用青函丸型車両渡船第四青函丸(2903t/JYIR)就航
1944年1月3日 函館駅の2岸壁に加え現在のフェリーターミナル近くに有川桟橋開設(1984年まで使用)
1944年1月14日 W(ワゴン)型車両渡船第五青函丸(2792t/JGVT)就航
1944年3月19日 W(ワゴン)型車両渡船第六青函丸(2802t/JWNT)就航
1944年7月20日 W(ワゴン)型車両渡船第七青函丸(2851t/JGHV)就航(1日21往復)
1944年11月22日 W(ワゴン)型車両渡船第八青函丸(2851t/JECA)就航
1945年2月27日 W(ワゴン)型車両渡船第九青函丸(2851t/JFWA)完成したが函館へ行く際座礁沈没、初の沈没、就航せず
1945年3月6日 第五青函丸吹雪の青森で航路内で初の沈没
1945年6月1日 W(ワゴン)型車両渡船第十青函丸(2851t/JYFF)就航
1945年7月14日~15日 米軍による青函連絡船及び函館ドック一斉攻撃、青函連絡船おのおの応戦や避難、第四青函丸、第十青函丸、第三青函丸、津軽丸、第二青函丸、飛鸞丸、翔鳳丸、第一青函丸攻撃を受け沈没、松前丸攻撃を受け炎上、第六青函丸攻撃を受け座礁炎上、それぞれ多数の死者、第七青函丸、第八青函丸攻撃を受け航行不能
1945年7月17日 海軍の特設砲艦 千歳丸が臨時就航(30日まで)
1945年7月20日 海軍の特設巡洋艦 浮島丸が臨時就航(23日まで)
1945年7月23日 たまたま函館ドックに居た稚泊航路の亜庭丸(3297t)が臨時就航
1945年7月25日 船舶運営会保有の貨客船 樺太丸も臨時就航、第七青函丸修復就航
1945年7月29日 第八青函丸修復就航
1945年8月10日 亜庭丸が米軍に攻撃を受け炎上沈没

戦後処理

 終戦直後、関釜航路からの貨客船「景福丸」や貨物船「壱岐丸」、稚泊連絡船から「宗谷丸」も応援に駆けつけ、被害の少なかった第七と第八青函丸を合わせて合計5隻のみで運航を開始しました(後に沈没した第六青函丸も修理されて復帰し、ほかの船も客載車両渡船に改造されるなどして応急処置を行った、1日10往復)。また、青函連絡船監督担当に進駐軍函館停車場司令部(RTO)が就任しました。

 1946年になると、GHQはLST(米軍の上陸舟艇)Q021とQ022の2隻を貸し出し改造して、新たな航路である函館~小湊間に就航させました。また、ほかの3隻も一時期GHQ専用船として借り出されたりもしていたこともあったようです。さらに、戦時中は軍艦のように塗装されていた青函連絡船は1946年に通常の塗装に直しています。

 1947年11月21日には戦後初の客載車両渡船として「洞爺丸」が、1948年には同じ洞爺丸型が3隻就航、車両渡船も同年に4隻が相次いで新調されて就航、合計14隻体制となりました。こうした新船就航の兆しが見えてきたところで、1948年2月、GHQのLST改造船や、他の航路から応援に来ていた船も撤退、すべてが青函連絡船航路所属となり、1949年暮れまでに18往復にまで改善されました。

ここまでの年表
1945年8月20日 関釜航路から景福丸(3620t)が臨時就航
1945年8月22日 関釜航路から二代目壱岐丸(3519t)が臨時就航
1945年10月9日 W(ワゴン)型車両渡船第十一青函丸(2851t/JLLW)就航
1945年11月28日 第八青函丸青森港で積み込み中に沈没
1945年11月29日 稚泊連絡船から宗谷丸(3593t)が臨時就航
1946年5月15日 W(ワゴン)型車両渡船第十二青函丸(3233t/JWEZ)就航
1946年7月1日 GHQのLST2隻による小湊~函館間航路開設
1946年7月23日 H型初代石狩丸(3146t/JWSZ)就航
1947年9月23日 関釜航路から昌慶丸(3620t)が就航
1947年11月21日 戦後初の客載車両渡船洞爺丸(3898t/JTAP)就航
1948年2月27日 車両渡船北見丸(2928t/JQGY)就航
1948年3月5日 徳寿丸(3619t)が5月2日まで臨時就航
1948年4月7日 車両渡船北見丸型初代十勝丸(2911t/JGUD)就航
1948年5月1日 客載車両渡船洞爺丸型初代羊蹄丸(3896t/JTCP)就航
1948年7月26日 車両渡船北見丸型渡島丸(2911t/JDZQ)就航
1948年8月27日 客載車両渡船洞爺丸型初代摩周丸(3782t/JLXQ)就航
1948年10月22日 車両渡船北見丸型初代日高丸(2932t/JQLY)就航
1948年11月27日 客載車両渡船洞爺丸型初代大雪丸(3885t/JTBT)就航(合計14隻)


青函連絡船の歴史2(戦時下)
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