江別の遊歩道に展示されている謎の機械3つと列車2両は一体なに?


【江別市】 江別駅に近いエリアに、JR函館本線から国道12号線・2番通り・3番通り・4番通りまで「四季の道」という全長約1.7kmの遊歩道が整備されている。市民が散歩できる場所として親しまれているが、このうち3番通りと3丁目通りが交わる近くの三角地帯(江別市若草町1)には、謎の機械と列車が並んで展示されている。

機関車は分かるが、ジブリ作品に出てきそうな白い物体、巨大なタイヤを置いたかのような黒い物体があるのだ。これはいったい何なのだろうか。なぜこんなところにあるのだろうか。調べていくと、実はかつての産業が関係していた。では一つ一つ解説しよう。

ディーゼル機関車と石炭貨車

そもそもこの四季の道というのは、鉄道ファンや地元の方には知られているかもしれないが、鉄道跡地である。かつて北電(当時大日本電力)江別火力発電所(現在北海道電力総合研究所の敷地)があり、そのための専用線が走っていた。

専用線としては1935年12月に旧発電所の一部竣工に伴い運用開始したのが始まり。その後、1960年に新発電所建設で現在の四季の道に沿う形となったが、1991年3月に発電所が閉鎖、それに伴って貨物線が廃止された。専用線では、発電所で使用する石炭を、芦別・三井芦別炭鉱、赤平・住友赤平炭鉱など、空知地方の産炭地から輸送していたという。

展示されているのは、石炭貨車(セキ8026)一両とそれらを牽引する日立ディーゼル機関車。オレンジ色のディーゼル機関車は、外観がL字型で3軸ロッド。江別駅に到着した石炭貨車を発電所までの約2km間を一日に何度も往復して牽引していた。姿形は小さいが馬力に優れ、12~13両の貨車を牽引できたという。

一方の石炭貨車は1両あたり30tの石炭を積載して運んでいた。機関車にけん引されて発電所まで運ばれ、貨車の底のふたを全開にし、石炭を貯炭場へ通じるベルトコンベアの上へ落としていた。多い時には、一日に80両の石炭貨車が2500tの石炭を運んだ。これは発電所で使う量の約半分に当たる。

今は静かなこの散歩道を、かつては黒い石炭貨物列車を引き連れた機関車が走っていたかと思うと、不思議な気持ちになる。

蒸気タービン

風雨から守るよう透明のドームに格納された展示物は、火力発電所で使われていた「蒸気タービン」。125,000キロワットを発生させる蒸気タービンの回転体(タービンローター)で、順に高圧10段、中圧12段、低圧5段+5段で構成される。

説明によれば、1平方センチ当たり127kgの圧力、538度の温度の蒸気を、1時間当たり約373t使い、125,000キロワットの電気を発生させていたという。ボイラーで作られた高温・高圧の蒸気をここに送り、タービンを1分間に3000回転まわすことで、電気を発生させるという仕組み。

黒い物体は「微粉炭機(ミル)」

黒いタイヤのような物体は、火力発電所で使う微粉炭機(ミル)という機械。石炭を細かい粉にして燃やすが、その前段階で使われる。江別発電所では、ボールを使用して石臼のように石炭を粉砕するもので、立て形(Eミル)と横形(チューブミル)が使われていた。そのうち、展示されているのは、立て形のEミルというもので、1時間に15.5tの石炭を粉にする能力があり、125,000キロワットを発電するのに5台のミルが使われていたという。石炭を粉砕するほどの、かなり強靭な機械であったようだ。

白い物体は「しゃ断器」

白い物体は「しゃ断器」という。端的にいえばスイッチだという。発電所では、送電線で作業をする際や事故時には電気回路を切断するが、そのスイッチ。江別発電所では、油を使った油入しゃ断器(OCB)が使用されており、油タンクには5000リットルの油が入っていたという。電気回路を制御するのに、スイッチだけでも人の背丈以上の大きな機械だということが分かる。

いずれの機械も機関車も、江別発電所があった時の名残がこのようにして今に伝えられているというわけだ。このような産業遺産を通じて、かつての江別の産業に目を向けてみてはいかがだろうか。