総勢200人が暮らした!? 現存する道内最大級の鰊番屋「旧花田家番屋」

鰊番屋や鰊御殿といった名称を聞いたことがありますか? 北海道の日本海側で、明治、大正、昭和の前半に盛んだった鰊漁。その網元たちが造った住居兼漁業施設のことをそう呼びます。

当時、網元たちは競って大規模で豪華な番屋を建設しました。そんな鰊番屋が留萌郡小平町にあるというので訪ねてみました。

かつて華やかに栄えた北海道の鰊漁

留萌市からオロロンライン(国道232号線)を北に約20km、車で30分ほどの小平町に鰊番屋があります。旧花田家番屋と言い、北海道にあるいくつかの鰊番屋の中で唯一国の重要文化財に指定されています。日本最北端にある建造物の重要文化財としても有名だとか。また、2001(平成13)年には北海道遺産にも認定されている歴史的建造物です。

▼奥に見えるのが「旧花田家番屋」、手前は道の駅「おびら鰊番屋」

この番屋が重要文化財に指定されたのは1971(昭和46)年でした。その際、小平町はこの番屋を買収し、3年の年月をかけて解体修復。それまで1896(明治29)年に創立したと言われていましたが、羽目板の落書きや、壁紙の下張りに使った新聞紙の日付などから、1905(明治38)年頃に建てられたことがわかりました。

▼巨材を豊富に用いた豪壮な梁組

当時、北海道の日本海側の鰊漁は全盛期を極めていて、網元たちはたくさんのやん衆を使って大儲けしていました。この鰊番屋を作った花田伝助も最盛期には18ヶ統の鰊定置網を経営する道内屈指の鰊漁家でした。ちなみにやん衆とは、北海道で鰊漁に雇われた季節労働者たちのことを言うのだそうです。

▼たくさんのやん衆が集っていた居間

この番屋には、5ヶ統の漁夫の外船大工、鍛冶職、屋根職など、総勢200人を収容していました。3つも囲炉裏がある居間でやん衆たちが食事をし、その手前の居間をL字型に囲む板間で寝ていたと言います。

この番屋は道内に現存するものでは最大の規模なのだそう。玄関を入ったところから繋がる「にわ」と呼ばれる土間を挟み左(北)側を親方の居住スペース、右(南)側にやん衆たちの生活スペースが設けられていました。

▼かつての物置には当時の生活用具などが展示されている

かつて華やかだった北海道の鰊漁ですが、戦後漁獲量が減り、1955(昭和30)年あたりから鰊群来(にしんくき)は途絶えました。

毎年賑わうイベント「鰊番屋まつり」

小平町では、旧花田家番屋で、年1回「鰊番屋まつり」を実施しています。35回目となる今年(2017年)も5月21日(日)に開催されました。

▼道内、道外からたくさんの人が集まった「鰊番屋まつり」(写真提供:小平町地域おこし協力隊)

「鰊番屋まつり」では、芸能発表会と題し「おびら太鼓麓龍」「鬼鹿松前神楽」などが披露されました。

▼旧花田家番屋の居間で鬼鹿松前神楽が披露された(写真提供:小平町地域おこし協力隊)

そして恒例のにしん三平汁の無料配布。大勢の人がこのにしん三平汁目当てに行列をつくり、熱々の地元名物に舌鼓を打ちました。

▼大きな鍋で作られるにしん三平汁は限定300食(写真提供:小平町地域おこし協力隊)

また、旧花田家番屋の隣りにある道の駅「おびら鰊番屋」は、常に観光客でにぎわっています。食堂のメニューは、海の幸を使ったものが豊富で、人気を集めています。もちろん焼きニシン定食や鰊天丼、にしんそばなど、鰊を使ったメニューもたくさんあります。小平町に来たからにはやはり食べておきたい鰊。どれにしようか迷いそうです。

▼鰊の甘露煮と数の子が入っているニシン丼

旧花田家番屋に実際に行ってみると、その繁栄ぶりが肌で感じられます。と同時に、それほどまでに栄えていたものが衰退していくという儚さもひしひしと感じることができるでしょう。

道の駅おびら鰊番屋 旧花田家番屋
所在地:留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地の2
電話:0164-57-1411
営業時間:5~10月 8時~17時 / 11~4月 9時~16時
定休日:月曜日
※6月第3月曜日~8月第2月曜日は無休
取材協力
●小平町役場
所在地:北海道留萌郡小平町字小平町216番地
電話:0164-56-2111(代表)
公式サイト
●小平町地域おこし協力隊
Facebookページ