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100年前に実際に起きた史上最悪の悲劇「三毛別羆事件復元地」

編集部
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100年前に実際に起きた史上最悪の悲劇「三毛別羆事件復元地」

三毛別羆事件。大正時代前期の1915年12月9日、三毛別六線沢の集落に380kg、体長2.7mの巨大なヒグマが現れ、9人を襲い、5人を食い殺したという、日本史上最悪の熊による悲劇的な事件である。悲劇の舞台となった民家を当時のように再現し保存しているのがここ「三毛別羆事件復元地」である。

当時はここに15戸の開拓者たちが生活していた。事件の発端は同年11月、ヒグマが何度か現れたことに始まる。熊が狙っていたのは干したトウモロコシであったが、12月9日午前10時半、男たちが畑に出かけて留守の太田家にヒグマが襲いかかった。子ども(6)がかみ殺され、妻(34)は抵抗するも森に引きずられて消えた。彼女は後日、頭部と膝下のみ発見されることになった。

翌日、12月10日夜8時。住民らが通夜で集まった太田家を、再びヒグマが襲った。その直後、女・子供が避難していた明景家を襲い、男児2人と妊婦が殺された。たたきつけられた男児は深夜に死亡が確認された。その後ヒグマを襲撃する作戦が立てられ、12月14日、その殺人者とされるヒグマを森の中で発見、射殺された。(2日間で胎児と合わせて合計死者7人、重傷者3人。2年8カ月後、かまれた男性が死亡したため、合計死者8人、重傷者3人とする資料がある)

100年前に実際に起きた史上最悪の悲劇「三毛別羆事件復元地」

この悲劇の舞台となった三毛別には、当時の事件を風化させぬようにと、1990年、復元地が造成された。ヒグマの等身大の模型があり、被害のあった明景家をモデルにした家屋の再現、慰霊碑、くまの穴、ひぐまのひっかき傷、足跡、粉つき小屋などがある。家屋内も当時の生活が分かるよう再現されている。実際に殺傷事件があったのは、この下流に少し行ったところの太田家、さらに下流の明景家である。

復元地は、道道1049号の突き当たりにある。この道路の末端部は除雪されないため、冬季閉鎖同然となってしまう。また、夏季でも本物のヒグマが登場することがあるので注意が必要。実際、付近は住宅もなく、うっそうとした森の中であるため、注意する必要がある。

雰囲気も、再現された等身大ヒグマも怖いと感じさせる場所であるため、一度訪れると二度と行きたくないと答える人も多い場所。勇気のある方は是非お試しを。なお、生存者たちの証言を基にした詳細な記録は『慟哭の谷』を参照。(※本稿は2007年に公開した記事を書き直し再発行したものである)

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