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樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

編集部
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樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

【猿払村】 日本最北の村・猿払村、浜猿払の海岸線[地図]。ここに、あまり知られていないが、樺太と関わりの深い施設があった。それが「猿払電話中継所」。その名の通り、樺太と北海道・本州とを電話線で結んでいた中継地点だ。

日本最北の稚内ではなく、その東南に隣接する猿払村が樺太とつながりがあるというのは、意外に思われるかもしれない。

同所は、1934年12月11日に北海道と樺太が海底ケーブルで結ばれたことに伴って、同年11月1日に開設された。同年9月に敷設された海底ケーブルの区間は、中継地の設置された猿払村浜猿払から、樺太・深海村女麗(プリゴロドノエ)までの162.8km(ちなみに、日露戦争で日本軍が最初に上陸した地ともいわれる)。樺太側はその先、豊原まで電話線が延びていた。これをもって初めて、樺太と本州間で電話が通じるようになった。

宗谷海峡に敷設された5つの海底ケーブル

樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

最初に敷設された海底ケーブルは「同心型パラガッタ線」。パラガッタ線というのは、中心の導体を絶縁物(パラガッタ)で包み、さらに外側を外装し保護するというもの。この同心型パラガッタ絶縁海底ケーブルが1934年、国産で初めて猿払~樺太間に敷設された。結局1945年6月までに、以下の計5本が敷設されている。

●1934年 9月「宗谷海峡 話1号」(同心型パラガッタ)
線長87.882海里=162.8km
●1937年10月「宗谷海峡電信1号」(1心電信ケーブル)
線長105.895海里=196.1km
●1943年11月「宗谷海峡 話2号」(4心平等装荷バラタ(GP))
線長94.174海里=174.4km
●1943年11月「宗谷海峡 信1号」(1心平等装荷(GP))
線長95.820海里=177.5km
●1945年 6月「宗谷海峡 信2号」(1心平等装荷(GP))
線長99.751海里=184.7km

▼北海道博物館にはこのケーブルの標本が保存・展示されている
樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

1945年6月まで増強を続けてきたが、終戦後海底ケーブルの切断で樺太との通話ができなくなった。さらに、1962年6月までにマイクロ回線が札幌から稚内まで延伸開通。猿払電話中継所はその役目を終え、1964年9月30日に廃止された。

この下を海底ケーブルが通っている!

樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」
樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

現在、建物は残っていないが、跡地として石碑(「猿払電話中継所跡」「樺太との電氣通信ゆかりの地」)と実際に使われていた海底ケーブル5本の一部が標本として展示されている。

展示されている海底ケーブルは、ケーブル番号1~4および最初の同心型パラガッタの5本。それぞれ、地面から生えているかのように並べて展示されており、ケーブルは中心部も見ることができるような工夫がなされている。

また、跡地の敷地内にはマンホールと縦型の標石がある。マンホールの中には海底ケーブルが埋まっており、標石の下を通って海へ、そしてサハリンへ向かって延びているという。

あの九人の乙女の殉職前の声をつないだのもここ。戦前はここを通して人々が樺太とやりとりをしていたんだと思うと、なんだか不思議な感じになる。

▼マンホールと標石。その先にオホーツク海。
樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

▼有名な九人の乙女「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の思いをつないだのがここ。
樺太~北海道間を結んだ海底ケーブルがここに!「猿払電話中継所跡」

ちなみに、根室市と国後島間にも海底ケーブルは敷設されていた。根室市ハッタラ浜の旧国後島海底ケーブル通信所と国後島ケラムイ岬を結ぶ38.2kmで、1900年設置。国後島と択捉島ともつながっていたが、根室~国後間の海底ケーブルは戦後に切断された。

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